【震災から4年】福島第一原発の事故をきっかけにバリ島へ放射能避難した家族の今

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【震災から4年】福島第一原発の事故をきっかけにバリ島へ放射能避難した家族の今

日本人にとって忘れられない日となった、2011年3月11日。東日本大震災から丸4年が経とうとしています。

福島第一原発の事故をきっかけに、放射能から避難するために海外へ移住を決断した家族がいることをご存知でしょうか。筆者の住むバリ島にも震災以降、多くの日本人家族が移住しています。

放射能避難をした2組の家族にお話を伺いました。

母子避難をしたMさんのケース

2012年3月に小学生と中学生の2人の子どもを連れて、バリ島に移住したMさん(女性、44歳)。小柄で華奢な体型と、ひとなつっこい笑顔が印象的なかわいらしい女性です。

自然の中で生活したいと生まれ育った東京から近郊の緑豊かな土地へ移り住み、夫と家族4人で田舎暮らしを楽しんでいたMさん。もともと食への関心が高く、自ら無農薬の野菜を栽培したり、安全な食材を全国から取り寄せていたそう。子どもたちの教育も、自然とのかかわりを大切にしてきたと言います。

しかし原発事故以降は、生活が一変。家の窓は全て締め切って、洗濯物は室内に干し、布団は知人に借りた布団乾燥機で乾かす生活に。外出時には子どもたちにマスクをさせ、砂遊びも禁じました。

製造日が震災前のものを選んで買ったり、これまでは避けていた冷凍食品を購入するようになりました。計測器で測ることができる放射性物質は限られていることを知り、見えない放射能の恐怖に常に怯える日々が続きました。

1年ほど考え、子どもに残せるのは健康だけと、バリ島への移住を決意します。

ただ夫は「この地域は大丈夫だから」と日本に残ることを選択したそう。話し合いでは「なぜ、放射能が危険だという情報ばかり選んで見るのか」「大丈夫だという情報にも目を向けて欲しい」と言われたそうですが、放射能への恐れがおさまることはありませんでした。

実母には「孫たちを拉致するのか」とまでなじられ、悩みに悩んだMさん。それでも、「あの時、決断しておけば…」と後悔はしたくないと、移住を決心しました。

まったく地の利のないバリ島を選んだのは、同じく放射能避難をした友人を頼ってのことでした。バリ島で生活をして3年が経とうとしています。以来、一度も日本へは帰国していないそうです。

現在Mさんは、バリ島中央部にあるウブド地区近郊に2DKのバリ式のアパートを借りて親子3人で暮らしています。家賃は80万ルピア(約8千円)と格安ではあるものの、半年に一度切れてしまう滞在ビザの取得のために近隣の外国へ出国しなければならず、そのための高額な費用が悩みの種となっています。

日本に住む夫からの仕送りや、貯金を切りくずしながらの生活は質素ではあるものの、安全な食事を食べられることが何よりありがたいと言います。

もちろん慣れない海外生活でのストレスもあります。のんびりした性格のバリ人の場合、「明日」と言っていることが3日後、ひどいときは1週間後ということもザラに起こります。暑さや忙しさから気持ちに余裕がないときは、お国柄と言って片付けられないストレスを感じるそうです。

家族全員で避難したYさんのケース

2組目は、家族でバリ島旅行へ旅立った当日が3月11日の震災当日だったというYさん(女性、55歳)。理知的な視線が印象的な美しい女性です。

Yさんは原発への関心が高く、日本でも長く原発反対運動などに参加していました。そのため、津波の報道があってすぐに原発事故の危険も感じていたと言います。3週間のバリ島旅行中に移住の意志を固め、一旦帰国して家財などを片付け、3ヶ月後の2011年6月に夫と娘の親子3人でバリ島へ移り住みました。

夫もバリ島で人生の再出発を切ろうと移住に同意。もともと先行きの見えない日本での将来に違和感を持っていたYさんは、住民票を抜いてまさに日本を捨てるように飛び出てきたそうです。

ただ両親には、本当のことは言えませんでした。年老いた両親には、放射能からの避難という考えがあるとはいえ、生活の当てもない外国へ移住することが大きなショックになることはわかっていたからです。そのため、「バリ島で仕事が決まった」と嘘をついて出てきたと言います。

現在は州都デンパサールから約30分の地区にある、バリの友人が経営する外国人向けの宿で生活しています。日本の住まいを賃貸に出し、5万円弱の家賃収入を得ていますが、いくら物価が安いバリ島でも生活は楽ではないと言います。

お金がもう少しあったら…と思うことは少なくないそうです。バリ島では外国人の就業は厳しく制限されており、簡単にアルバイトもできないのが現状。もし就労の事実が摘発されれば、強制送還される可能性があるため、働きたくても働けないという移住者は多いです。

Yさんはもともとバリ島には幾度となく訪れており、地の利もありましたが、夫にとっては初めてのバリ島の田舎暮らしは想像以上のストレスになりました。またYさん自身も、バリ人との会話のすれ違いによくストレスを感じると言います。

「議論以前にちゃんと会話が成り立たない」「話をかわされてしまう」ことが多く、そうした状況が気持ちを追い込むことも。現在中学生になる娘は現地の学校に通っていますが、教育面での不安はあるものの、英語を身につけて日本ではなく世界に目を向ける人になって欲しいと願っているそう。

ゆれる想い

Mさんの夫は年に1回以上はバリ島を訪れてくれています。しかし「最終目標は家族4人で暮らすこと」と話すように、Mさん自身も家族が離散している現在の状況を良いとは思っていません。夫とは、移住にあたり「3年で結論を出す」という約束をしたそう。移住から3年経とうとしている今、バリ島にしばらく暮らすのか、日本へ戻るのか、Mさんの気持ちは揺れています。

バリ島に放射能避難された家族のなかには、Mさんのように家族が離散しているケースは珍しくありません。その多くが、母親と子どもが移住し、夫は日本で働くというパターンですが、苦渋の決断だったであろうことは想像できます。一家で移住したYさんも、もし夫が反対していたらバリ島移住ではない選択をしていたかもしれないと話していました。

Mさんは言います。

「日本の地域のコミュニティーに、放射能に危機感を持つ人が何人かはいて、『放射能が危険だ』と普通に口にでき、たとえ賛同されなくても『そういう考えもあるよね』と受け入れてもらえる、頭ごなしに否定されたり白い目で見られない、せめてそんな状況にならなければ自分たちは帰れないのではないか」と。

Mさんは、自分のような考えの持ち主がマイノリティとして蚊帳の外に置かれない状況になることを期待し、3年という期限をつけました。しかし、現状には危機感があるようです。

原発事故は、人間関係にも大きな変化をもたらしました。変化は変化のまま、いまも残り続けています。

photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋)

(文/しらべぇ海外支部・平理以子)

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