新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか

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多和田葉子による新訳カフカ『変身(かわりみ)』が『すばる』2015年5月号に一挙掲載。

『すばる』2015年5月号に一挙掲載された多和田葉子による新訳カフカ『変身』は、これまでの訳と大きく違う。
あまりにも有名な最初の一文は、こうだ。

“グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。”

岩波文庫、山下肇訳とくらべてみよう。
“ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。”

「毒虫」の部分は、原書では「Ungeziefer」という単語にあたる。
「ウンゲツィーファー(Ungeziefer)」を辞書で引くと「害獣」という訳語が出てくる。
虫だけではなく、ネズミや、ばい菌なども含む「害のある小動物」で、まあ、主に「虫」というイメージの単語のようだ。
ザムザが変身してしまった虫は、小説の中では毒を持っている描写はない。
「毒虫」という訳は、「害」の部分のインパクトを強くうち出した訳だろう。

いままでは、ほとんどの訳が「虫」か「毒虫」だ(種村季弘訳が例外で「甲虫」になっている)。

多和田葉子訳は、これを、「ウンゲツィーファー」と、原書のドイツ語そのままカタカナ発音で書いた。

「カフカを訳してみて」(『すばる』2015年5月号)というテキストの中でこう書いている。
“害虫をさす言葉で、実際ザムザの新しい身体は巨大な甲虫を想い起させるので、害虫とか甲虫とか訳してもいいが、ウンゲツィーファーという単語の語源を調べてみると、「汚れてしまったので生け贄にできない生き物」という意味があると知った。”

原書ではUngezieferという一語を、“ウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)”と長い文章にした。

「胸騒ぎのする夢」「不安な夢」「落ち着かない夢」等と訳されてきた部分も、多和田葉子訳では、「複数の夢の反乱の果てに」である。これも原語では二語の部分が、拡張されている。
原文が持つ何かを、するすると突っかかりのない日本語にするのではなく、乱反射するような日本語で書いた。

この書き出しの一文、語順も可能な限りドイツ語のままだ。
たとえば、他の翻訳では、「ある朝」からはじまる(一挙に9つ並べてみよう)。

“ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。”(カフカ『変身』高橋義孝訳・新潮文庫)
“ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から醒めると、ベッドのなかで、ものすごい虫に変わっていた。”(カフカ『ドイツ3・中欧・東欧・イタリア「世界の文学」』城山良彦訳・集英社)
“ある朝、グレーゴル・ザムザが不安な夢から目を覚ましたところ、ベッドのなかで、自分が途方もない虫に変わっているのに気がついた。”(カフカ『変身』池内紀訳・白水uブックス)
“ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた。”(カフカ『変身,掟の前で 他2編』丘沢静也訳・光文社古典新訳文庫)
“ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢から目覚めてみると、ベッドのなかで自分が薄気味悪い虫に変身してしまっているのだった。”(『カフカ・セレクションIII異形/寓意』浅井健二郎訳・ちくま文庫)
“ある朝、グレゴール・ザムザが、落ち着かない夢から目ざめてみると、彼は自分がベッドのなかで、大きな毒虫に変わっているのに気がついた。”(『カフカ:世界の文学セレクション36』辻ひかる訳)
“ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。”(カフカ『変身』中井正文訳・角川文庫)
“ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。”(カフカ『変身』岩波文庫・山下肇訳)
“ある朝、ひどく胸苦しい夢から目がさめると、グレゴール・ザムザは、ベッドの上で自分が一匹の巨大な甲虫に変身していることに気がついた。”(『世界幻想名作集』河出文庫・種村季弘訳)

すべて「ある朝、」から始まっている。
だが、多和田葉子訳は“グレゴール・ザムザがある朝のこと、”とはじめた。これは、原書の“Als Gregor Samsa eines Morgens ”とほぼ同じ語順だ。

もうひとつ見てみよう。
虫になったザムザが、もう一回寝ようとして身体の右側を下にしようとするが、平べったくなっていてできなくて、右を下にするのを諦めたシーン。
山下肇訳では、こうだ。
“グレーゴルは思った。「やれやれおれはなんという辛気くさい商売を選んでしまったんだろう。年がら年じゅう、旅、旅だ。(…)なんといういまいましいことだ」”
原書“Ach Gott”を直訳すれば「おお、神様」だ。それをこなれた日本語として「やれやれ」を選んだ。

多和田葉子訳では、こう。
“「あああ、神様」とグレゴールは心の中でつぶやいた。「なんて酷な職業を選んでしまったんだろう。あけても暮れても旅旅旅。(…)こんな生活は悪魔が持っていけばいいんだ。」”
多和田葉子訳では、これまでの翻訳では消えていたセリフの中の「神様」と「悪魔」という対が浮かび上がった。
どちらが良い悪いではない。翻訳の方針の問題だろう。

『すばる』2015年5月号には、水村美苗/鴻巣友季子「対談日本語と英語のあいだで」も収録されていて、翻訳の透明性についての話題が出ている。
自国語で書かれたかのような訳文を指す「透明な翻訳」と、原文が透けて見えてこれは翻訳だとわかる「透明な翻訳」。
“鴻巣 だから、あえて引っかかりのある異化翻訳もできます。それが日本での「透明な翻訳」です。
水村 「外国」というものに触れているという印象があったほうがいいということですね。”

これは、直接、多和田葉子訳「変身」についての対話ではない。
が、多和田葉子訳「変身」を読んでいると、自分以外がすべて「外国」であるような重くのしかかってくるモノがある。
いままでのどの翻訳よりも、原書が内包する乱反射を拡張した「変身」(「へんしん」ではなく「かわりみ」とルビがふられている)、ぜひ読んでみてください。(米光一成)

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