森田一義氏へ 70歳のお誕生日のお祝いを申し上げます『タモリと戦後ニッポン』

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近藤正高『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)

拝啓 森田一義様
お誕生日おめでとうございます。
本日22日で70歳を迎えられるとともに、今月30日にはあなたがテレビに初めて出演されてから40年が経ちますね。たしか、まだNETという局名だったテレビ朝日の「土曜ショー」という生番組で、マンガ家の赤塚不二夫先生が子供向けの企画を任された際、まだ福岡から上京してまもないあなたを出演させたのだそうですね。そこで披露した芸に司会の高島忠夫氏も番組スタッフも大ウケで、けっきょく番組はあなたの独擅場で終わったとか。赤塚先生と親しかった黒柳徹子さんがたまたまそれをテレビで見ていて、あわてて局に「あの人は誰!?」と電話をかけてきたという話もよく知られています。

ここまで読んで、どうしてそんなに自分のことを知っているのかと訝しがられるかもしれません。すみません、申し遅れましたが、私は先ごろ『タモリと戦後ニッポン』という本を上梓した近藤という者です。この本はケイクスというウェブサイトでの連載を下敷きに、新たな資料や資料を踏まえて大幅に加筆修正したものです。

この本を書くにあたっては、さまざまなものをヒントにしています。なかでもあなたが1981年にリリースされた「タモリ3 戦後日本歌謡史」というレコードにはインスパイアされるところが多かったです。

本書を脱稿したのち、ふと気づいたことがあります。このレコードは降伏文書調印式におけるマツカサ元帥(モデルはもちろん連合国軍総司令官のマッカーサー)のスピーチのモノマネから始まりますよね。ドキュメンタリー番組などで戦後史を振り返る場合、たいていは昭和天皇の玉音放送が最初に流れますが、このレコードはそうではない。もちろんこれは、玉音放送のモノマネははばかられるとの判断によることは容易に察せられます。しかし、このレコードにおける「戦後」が玉音放送ではなく降伏文書調印で始まることは、つくり手の意図を超えてとても深い意味があるように思われたのです。

第二次世界大戦・太平洋戦争の終わった日がいつかについては、じつは諸説あります。日本国内では、玉音放送によって国民に終戦が伝えられた1945(昭和20)年8月15日とする説が一般的です。しかし国際的に見れば、戦艦ミズーリ号上で降伏文書調印式が行なわれた同年9月2日をもって戦争は終わったものとする説が主流です。この日や翌3日を「戦勝記念日」と定めている国も少なくありません(これに関しては、佐藤卓己『八月十五日の神話――終戦記念日のメディア学』という本でくわしく検証されています)。

他方、日本にとっての戦争終結を「終戦」と呼ぶか「敗戦」と呼ぶかという議論もあります。これについてはタモリさん、あなたも今年元日のNHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像」プロローグで、「『終戦』じゃなくて『敗戦』ですよね」と指摘しておられましたね。レコードリリース時からそう考えておられたのかどうかは存じ上げませんが、私にはあの番組での発言と、「タモリ3」が降伏文書調印式から始まることがぴったり合致するような気がしてなりません。

あなたの居合わせた“場”にあこがれました


私は『タモリと戦後ニッポン』の「おわりに」で、タモリさんご自身がこの本を読まれたのなら《「おまえはようするにおれじゃなくて、おれの周辺の文化に興味があるだけだろ」との感想を抱かれるのではないか》と書きました。現に本書では、あなたの背景にある文化や人間関係についてかなり細かく言及しているからです。

そうなったのはひょっとすると、デビュー前後にあなたが居合わせた“場”に対し私がどこかあこがれを抱いているからかもしれません。とくに、あなたが仲間たちと酒を飲んだり遊んだりするうちにさまざまな芸を生んだスナック「ジャックの豆の木」は象徴的な“場”です。

ただし、私にもそんな“場”の体験がないわけではありません。これはまったく私的な話になりますが、東京の中野に1階にかなり広いスペースを設けた民家がありまして、ご主人の好意でそこに毎月のようにインディーズの芸人が集まってはライブが開かれていました。いまから15年ほど前の話です。私もそこに客として出入りするうち、出演する芸人にインタビューしてミニコミに掲載したり、また自分も出演者になってみたり……まあそのへんの細かい話は省くとして、とにかくいろんな人と出会いました。

先日、当時そこに出入りしていたひとりである活動弁士の坂本頼光さんと久々に会ったとき、「いま、あのころの自分たちみたいに、どこの事務所にも所属しないインディーズの芸人たちが人の家の1階に集まって何かやるなんてことありませんよ」と言われ、急にあの“場”の体験が貴重なものに思えてきました。

あのころの仲間たちには、それなりに有名になった人もいれば、いまだ無名の人もいます。でも不思議とみな芸人を続けているようです。インディーズ育ちのたくましさといったところでしょうか。私も、物書きをなりわいにしているとはいえ、精神的にはかつて“場”を共有した芸人たちとまったく同じでいるつもりです。

おそらく私の居合わせたような“場”は、戦後日本において無数に存在したことでしょう。そのなかにあって、あなたを世に送り出した「ジャックの豆の木」の存在はやはり燦然と輝いています。「ジャック」がいまにいたるまで伝説的に語られているのは、ジャズ・ピアニストの山下洋輔さんや放送作家の高平哲郎さんなどといったすぐれた語り手たちが常連客でいたことも見逃せません。

誰があなたの評伝を書くのか?


拙著『タモリと戦後ニッポン』はノンフィクションや評伝と呼ぶにはまだまだ不十分なものです。その執筆にあたって資料を漁れば漁るほど、記述や証言に食い違いが見出され、さらに謎が深まったところもありました。

ひとまず自分は棚に上げて、あなたの認定のもと評伝を書くとしたら誰がふさわしいのでしょうか。そこで思い出したのが作家の海老沢泰久氏です。あなたは海老沢氏について「あんな生意気なやつは見たことがない。これで文章が下手くそだったらぶん殴ってる」と評しながらも、ミュージシャンの井上陽水氏を加えた3人で「人望のない会」「携帯電話を持たない会」といった会を結成するなど親しくされていたとか。その海老沢氏は陽水氏に取材して『満月 空に満月』というノンフィクションを著しています。とすれば、海老沢氏が「タモリ評伝」を書く可能性もあったのではないか……と夢想せずにはいられません。もっとも、海老沢氏は2009年に亡くなられているので、いまとなっては無理な話ですが。

ここへ来て、あなたと関係の深い人たちの物故があいついでいます。山下洋輔さんがさまざまなジャンルの人たちと付き合うようになるきっかけをつくったジャズ評論家の相倉久人氏がこの7月に亡くなったのに続き、拙著発売の直前にはかつての「ジャックの豆の木」の常連で、タモリさんのデビューに立ち会った一人である詩人の奥成達氏も亡くなられました。立て続けの訃報にやや焦りを感じます。

今回の本の執筆にあたっても、山下洋輔さんに話をうかがうことはできましたが、あなたの上京時のいまひとりの恩人である赤塚不二夫先生はすでにこの世になく、お会いすることがかなわなかったのが残念です。赤塚先生といえば、その葬儀であなたが白紙を見ながらいかにもそこに文章が書かれているように弔辞を読み上げたことが思い出されます。あれは、デビュー以来、既存のコミュニケーションの形を破壊し続けてきたあなたのまさに真骨頂でした。

じつはこの記事も手紙を装った新刊のPRだったわけですが、さすがにあなたの弔辞のようにすらすらとはいきませんでした。負けを素直に認めたところで、私のお祝いの言葉に代えさせていただきます。
敬具
(近藤正高)

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